つまらなくやるせない日々にちんころがし

息を吐くように素敵なことを言いたい人の何か

継続ができねんだよぅ、な人へ

毎日続けようと思ったことってあるよね。

例えばウォーキングとか。

1週間くらい続けたけど、辞めたりしなかった?

例えばブログを毎日書くぞ!とか。

3日続けたけど、辞めちゃった?

例えば瞑想とか。

2日目で挫折した?


そんなことを繰り返して、本当に自分は何も続けられなくてダメな奴だな、なんて思ってたりした?

いいんだよ。続けられなかったものは、続けたいと思うものではなかったんだから。


もし、辞めた後になって、今でもやってみようと思うのなら、またやり始めたらいい。またやり始めさえすれば、それは長い目でみたら継続ってことになるのだから。

1日空いたところで、1年で考えたらなかったようなもの。たとえ、3日空いても、3週間空いても、3ヶ月空いても、3年空いても、またやり始めさえすれば、継続なのよ。人生トータル100年で考えたらそりゃ継続ですよ、と。


もっと気軽に取り組んでみてもいいのよ。

自然体で続けられるものが1番良いんだよ。

これを続けているのは、自分だから、やってるんだよなぁみたいな。もうやってない自分の方がおかしい、みたいな。そんな感じになると良いね。


じゃまたね。


価値観の違い

夫婦。

どうしたって、価値観の違いは出てくる。

もともと他人が一緒に住んだら、そういうことが起きて当然。


一番大事なことは、相手が大事にしているモノ、こと、価値観を尊重すること。


人を大事にするというのは、ただ優しくすることじゃない。その人が大事にしていることに気づいてあげて、それを尊重することだ。


人は、自分の大事にしているものを否定されたり蔑ろにされると、とても腹が立ったり悲しくなったりするものだから。自分を否定されたように感じてしまうものだから。


じゃまたね。

人を怒らせたら

怒らせてしまった時。

特に、恋人とか夫婦とか親しい関係性の人を怒らせてしまった時。

 

相手から出てくる言葉そのものに着目しないほうがいい。

言い返したくなるし、怒っているときに出てくる言葉に反応してもいいことはない。

その言葉が出ている根っこの感情に意識を向けたほうがいい。

そして感情を受けとめる。そうだよね、そう思うよね。と心の中で受けとめる。

 

そういう心持ちで、過ごすといいのだ。自然と怒りが氷解していくのだ。

 

私も修行中。

 

じゃまたね。

 

 

願望は何でもいいって訳じゃない

足るを知るという言葉がある。

 

今持っているもの。そこに満足をする。

 

ご飯を食べられている。

蛇口をひねれば水が出る。

安心して寝られる場所がある。

ガスであったかいお風呂にも入れる。

便利なスマホも持っている。インターネットでいつでも好きなものを見られる。

 

たまには美味しい食事に美味しいお酒だって飲める。

気の合う友人、家族がいる。

 

これは、すごいことなんじゃないの?

 

そんなことを思うんだよ。

豪遊できるお金が欲しいだとか、そういう願望で頭をいっぱいにしていると、実はいま自分が恵まれている、満たされていることに気づけないんだよね。

 

まずは自分が満たされていること、足るを知ること。

その上で感じる、こうありたいなぁ、こうしたいなぁというものにフォーカスしてみるのも良きだよ。

 

じゃまたね。

 

 

悩みの解決方法

悩みの解決方法の一つを書き記しておこう。

 

それは、

 

「今持っている悩み と全く同じ悩みを親友から相談された時に何とアドバイスするかを考えてみる」という方法だ。

 

別に親友じゃなくても、仲の良い兄弟でも後輩でも誰でも想像しやすい人でいい。とにかく他人からその悩みを相談されたらどうアドバイスするか?を考えてみることだ。

 

三者の視点になるとさっと答えが出たりする。答えが自分の中にあることに強制的に気づかされる。

「悩んでないでさっさとその選択をすれば良いじゃん」「後から後悔しないのはそっちの選択肢なんでしょ?」みたいなね。他人事にすると不思議なくらい後押しできたりするんだよね。

 

じゃまたね。

 

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生きやすくなる方法

一つ、気づいておく必要がある。

 

物事は、一人ひとり見え方、捉え方が異なる。言い換えると、全ての物事は自分の見方でしか認識できない、ということだ。目に入る全てのもの、耳に入る事柄、ありとあらゆるものは自分の見方、感じ方というフィルターを通してしか知覚できないのだ。

 

どこかで、「物事は自分の好きなように捉えられる」というような主張を聞いたことがあるが、これは間違いで、より正確に表現すると「物事は自分の捉え方でしか認識できない」なのだ。

 

ということは、物事に対して自分自身が抱く印象や感情って、全て自分のフィルター(捉え方)を通している訳で、このフィルターがキラキラ輝いていたりお花畑だったりする人は、世界はキラキラだったりお花畑に見えていて、ポジティブな感情でいることが多いということだ。

楽観主義者は自分フィルターがキラキラな奴なのだ。

 

例えば、「コロナ禍で外出できない」という多くの人にとってはネガティブな事象に対しても、人と会って話をすることの有り難さに気づけただとか、一人時間が増えたことで自分の内面をより知ることができたなど、とにかくポジティブな側面を意識していたりする。

 

逆に、自分フィルターがどどめ色だったりくすんでいたりすると、世界はどどめ色で、どんよりした感情でいることが多くなる。明るいニュースに対しても裏を読んで、どうせ誰かの利権が絡んでいるんだ、などとうがった見方をしたりする。

 

フィルターを通して物事を見ている、そのことに気づくことが大事なのであって、どんなフィルターを持っているかは自由だ。

せっかくなら、世界が生きやすそうなキラキラお花畑フィルターを持っていた方が楽だな、と思うのだ。

 

物事を始めるのに縁起の良い日

今日2022年1月11日は『一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)』といって、物事を始めるのに良い日なんだとか。

 

ということで、ブログを書くよ。書き始めるよ。

 

何か始めようかなと思った時は、縁起が良いらしいとか、そういう気分になったからとか、なんでも良いからとにかくやってみるのが良いのさ。

人はやらない理由を作る天才だから。

やってみるときは気軽にかるーくかるーく始めるのが良いんだよ。

 

ちなみに一粒万倍日は月に何度かあるらしいよ。

じゃぁまたね。