つまらなくやるせない日々にちんころがし

息を吐くように素敵なことを言いたい人の何か

思考を止めるな

ブログとは何の略でしょう?

なんとなく付けていたテレビから聞こえてきたクイズ。私は全然わからなかった。
というよりはどこかで聞いたことあるはずなのに少しも思い出せなかった。ブログ書きはじめていたのに。ショック。

答えは↓

(常識なのだろうけど、念のため改行)










ウェブログWeblog)

つまり、Web上にlog(記録を残す)という意味だ。
さて、ここまではどうでもいい前置きなので今日もウェブログしよう。
今日は日常の中で、ぐっときたことをログするのだ。
誰かのつまらなくてやるせない日々をぶっ飛ばすキッカケになるかもしれないから。


とある有名な方がTwitter上でつぶやいていた内容が刺さった。

その方は、コロナ禍でのビュッフェスタイルは(人同士の接触を減らすために)こんな風にしたらいいのでは、という案を表明していた。
私は案を読んだとき、内容自体はなるほど、やってみる価値はありそうかも!と思った。ただ、案を実行する上でアレやコレが問題になりそうだなぁ、実行は難しいかもなぁ、とも私は思った。

その案をTweetした方はさらに続けてあることをTweetしていた。

「できない理由」を送ってくる人が348人でてくることは予想済みであること。
「できない理由を言うことが、人生最大の喜びなんです!」って人が、日本には4380万人くらいいるんだから、それはもう仕方ない、ということ。

うぅ、刺さった。刺さってしまった。
私はわざわざできない理由を意見したり送ったりするつもりはさらさらないのだが、自身の思考を見透かされてしまったように感じたのだ。
(あと人数が具体的過ぎて笑った)

様々なものごとについて、できない理由を探すより、できる方法を考える方が楽しいし、そういう思考法をしよう、と過去に思っていたはずなのに、そんなことは露も思い出さず、できなさそうだなぁ、で思考をストップしていた。
他にも、最近はニュースで政治家の施策を見聞きすると、何をやってるんだか、、全然だめじゃないか、、問題だらけじゃないか、、、とダメな理由ばかりにフォーカスしてしまったことも思い出した。
なんてことだ。

できない理由が思いついてしまったのなら、そこで立ち止まらず、どうしたらできるのか?さらに良い改善案は?もしくは代替案は?
そんな風にものごとを考えたい。いや、考えたいではなく考えることにしよう。良い案が出てこなくともよいから、とにかく考えるクセをつけるのだ。
クセってのは習慣だ。厄介なクセもあるけども、良き習慣は莫大なパワーを生み出すものだ。多数の先人たちが行き着いている結論であり、疑う余地はない。

できない理由が思いつくのも、それはもう既に立派な思考力。できない理由が思いつけちゃう人が、そこで止まらずにさらに思考を深めていくと、、

こりゃぁ、いいことあるな。間違いなく。

そんなweblogでした。

ibe

良いクセ!

「ブログ」とは何の略語でしょう?

なんとなく付けていたテレビから聞こえてきたクイズ。私は全然わからなかった。
というよりはどこかで聞いたことあるはずなのに少しも思い出せなかった。ブログ書きはじめていたのに。ショック。

答えは↓

(常識なのだろうけど、念のため改行)










ウェブログWeblog)

つまり、Web上にlog(記録を残す)という意味だ。
さて、ここまではどうでもいい前置きなので今日もウェブログしよう。
今日は日常の中で、ぐっときたことをログするのだ。
誰かのつまらなくてやるせない日々をぶっ飛ばすキッカケになるかもしれないから。


とある有名な方がTwitter上でつぶやいていた内容が心に刺さった。

その方は、コロナ禍でのビュッフェスタイルは(人同士の接触を減らすために)こんな風にしたらいいのでは、という案を表明していた。
私は案を読んだとき、内容自体はなるほど、やってみる価値はありそうかも!と思った。ただ、案を実行する上でアレやコレが問題になりそうだなぁ、実行は難しいかもなぁ、とも私は思った。

その案をTweetした方はさらに続けてあることをTweetしていた。

「できない理由」を送ってくる人が348人でてくることは予想済みであること。
「できない理由を言うことが、人生最大の喜びなんです!」って人が、日本には4380万人くらいいるんだから、それはもう仕方ない、ということ。

うぅ、刺さった。刺さってしまった。
私はわざわざできない理由を意見したり送ったりするつもりはさらさらないのだが、自身の思考を見透かされてしまったように感じたのだ。
(あと人数が具体的過ぎて笑った)

様々なものごとについて、できない理由を探すより、できる方法を考える方が楽しいし、そういう思考法をしよう、と過去に思っていたはずなのに、そんなことは露も思い出さず、できなさそうだなぁ、で思考をストップしていた。
他にも、最近はニュースで政治家の施策を見聞きすると、何をやってるんだか、、全然だめじゃないか、、問題だらけじゃないか、、、とダメな理由ばかりにフォーカスしてしまったことも思い出した。
なんてことだ。

できない理由が思いついてしまったのなら、そこで立ち止まらず、どうしたらできるのか?さらに良い改善案は?もしくは代替案は?
そんな風にものごとを考えたい。いや、考えたいではなく考えることにしよう。良い案が出てこなくともよいから、とにかく考えるクセをつけるのだ。
クセってのは習慣だ。厄介なクセもあるけども、良きクセは莫大なパワーを生み出すものだ。多数の先人たちが行き着いている結論であり、疑う余地はない。

できない理由が思いつくのも、それはもう既に立派な思考力。できない理由が思いつけちゃう自分が、そこで止まらずにさらに思考を深めていくことをクセにすると、、

こりゃぁ、いいことあるな。間違いなく。

そんなweblogでした。

ibe

ブログタイトルのこと

今、2020.5.21における、このブログのタイトルは「つまらなくやるせない日々にちんころがし」だ。

何でこんなタイトルにしたかは正確には思い出せない。なにせ、ブログアカウント開設時にタイトルをつけたときから数年経っている。タイトルをつけたその時、なんとなーくつまらなくてやるせなかったのだろうと思う。

つまらなくてやるせない気持ちに、よくわからない面白ワードをぶっつけることで、そんな気持ちを打破したかったのだろう。

今更思う、なんだよちんころがしって。全く意味がわからない。

アラサーのダンディなおじさまを自称している身としては、全く似つかわしくないなと思う。

だが大丈夫。このブログを読む人が多数出現してしまったときには、さくっと変えればいいのだ。

そのときまでは、せっかくつけたタイトルだし、ほっとくことにする。

そう思ったものの、、、ちんころがしってなんだろう。
そこはかとなく下ネタの気配がする。恥ずかしくなってきた。
今日中にタイトル変えることにしよ。

副題的なものとして書いてる内容も恥ずかしくなってきた。「息を吐くように素敵なことを言いたい人の何か」だと。ひぇぇ、恥ずかしい。
まぁ、これは、今でもできることならそうでありたいと本心で思っているみたいだからとりあえず残そう。

どうしようもなくつまらなかったりやるせない日があっても別にいいんだと思う。それを打破しようと努力をしてもいいし、とりあえず身を任せて無気力になってみてもいいのだと思う。ときには心躍る日があったり、平坦で特に面白くもつまらなくもない日があるのだと思う。どんな日もどんな時でも、それが自分の生き様なんだなぁ、と認めると、他人にも優しくなれる。他人に優しくなくても、もちろんそれは一つの在り方だからそれはそれでいいのだけど。
自分を受け入れられると、他人も受け入れやすくなるものだから、周りの人といい関係を築きたいあなたへすこーしだけおすすめします。


ふぅ、素敵なことを言った気がする。

ibe

話す、聴く

話し、そして聴いてもらうことの有難みを感じた。

新型コロナウイルス感染症騒ぎで、図らずも在宅での仕事が始まり、家の外に出ることが殆どなくなった。

人をあまり見ていない気がする。家族の姿とたまにくる配達員の方くらいだろうか。
以前から仕事にもやもやしたものを抱え、漠然とした違和感があったのだが、この長期在宅のうちにその違和感は大きくなっていった。

在宅勤務で使うパソコンの調子は悪く、度々フリーズしてしまうことにフラストレーションが溜まっていたのだが、いつの間にかパソコンは動いていても自分自身がフリーズするようになっていった。フリーズ時間は長くなってゆく。

まずい。

このままだと上司や同僚へ迷惑をかけてしまうなぁ、行き着くとこまでいけばクビだなぁ、、などと思いながら、漫然と過ごしていた。
このままではいかんな、と自分への不安が募る中、ふと自身の状況を第三者に聞いてもらいたいと思い、久しぶりに友人に連絡をした。ちょっと助けてほしい、とお願いをしたのだ。

久しぶりにいろいろな話をしながら、自身の状況を拙い言葉で伝えた。伝えようとすることで、自身の思考の整理も同時に進むものだ。
話すことは良いな、と心底実感した。特に、自分の中の何か大事な感覚、中々人には話しづらいようなことを言葉にしようとすることが、そしてそれを聴いてもらうことが、精神に良い影響があると感じたのだ。

今の仕事への違和感が払拭されたわけではないが、何かしらの行動を取りたいという意欲が多少なりとも出てきたのだ。独りで悶々と考えているだけでは難しかっただろう。

今度は、自分が聴く側になろうと思う。

話せる誰かがいるのなら、その誰かへ是非連絡を取ってほしいと思う。もし躊躇があるなら私を使って貰ってもいい。
誰だって構わない。漠然とした不安やもやもやがある、いま困っていることがある、なんにもないけどただただ話がしたい、なんでもいい。話すことで、何か良いことが起きるはずだから。
赤の他人なら意外に話しやすいこともあるだろうから。

わたくし、体験コーチング(無料)もしておりますので気になった人はコメントをどうぞ


ibe

本当にやりたいことは?

本当にやりたいことは何ですか?

なんて難しい質問なのだろうと思う。いま、心の底からやりたいこと、実現したいことが明確な人はどれほどいるだろうか。さらに、それに向けて歩みを進めている人は如何ほどだろうか。

仮に、なんとなくやりたいことがぼんやりと思い浮かんでいても、時間もお金も足りない、自分の置かれた環境では実行できない、生きていくために精一杯でそれどころじゃない。できない理由はいくらでも出てくるんじゃないだろうか。

私は、何年か前に自分が本当にやりたいことはこれじゃなかろうかということをぼんやりと見出した。

それは、悩める人のやりたいことを共に見出し、できない理由ではなく実行へと進む方法を共に探し、その人が試行錯誤していくことを手助けし、その人の「思い」を形にしていくことだ。

つまり私のやりたいことは、誰かのやりたいことを実現していくこと、、ということだったらしい。自分は少し変なのではないだろうか、とも思ったが、それで誰かが困ったりすることはなかろうし、まぁいいか、と認めた。

どうやらこれは「コーチング」というものの一種であることを知った。世の中にはコーチングというコミュニケーションを通して、クライアントの人生の充実をサポートすることで報酬を得ている「プロのコーチ」なるものが存在していた。これを知ったときに、まさかこんな、成果の見えにくい、怪しげとも言えるような内容で報酬を得ている人たちがいることに驚いた。そして、憧れた。

どうせなら世界で指折りのコーチと言われるような存在に私がなろうと思い、その時から少しずつ準備を始め、進行中。

いま、生き生きとした日々を過ごしたい、充実したい、仕事が辛い、人間関係に悩んでいる、とにかく助けてほしい、解決したい問題があるなど、、悩めるクライアント募集中。

自分へ

ブログをやってみようと思ってから1年以上は経った。はてなブログアカウントを作成し、ブログ名を付けてから1年以上は経った。

さて、発信してみようと思う。

できれば、読んだ人の誰か一人でもニヤリとしたり、なるほどなと思ったり、なんでもいいから良き影響になるようなものを。

などと思っていたら何も発信できずに、また1年程経っていた。
それでは、何故いまになって一つ目の記事を作るまでこぎつけたのか。それは、とりあえず自分に向けて書いてみようと思ったからだ。活力がどうにも出てこなくなってしまう自分に対して、こうしてみたらいいんじゃないか?とか、こういった考え方したら色々上手く行ったよ、とか、そんな良い影響になることを書いたらいいんじゃないか、と思ったのだ。

賢人が言っていた。
とりあえず、自分が幸せな状態、ハッピーな状態でいることは周りの人にとっても良いことらしい。陰鬱な表情、姿勢でいるより、朗らかで笑顔でいることが、自分らしくやりたいことやっている状態が、周囲の人にも良き影響がでてきやすいんだとか。

自分へ、
そんなことわかってても出来るものじゃない。とか思わずに最小単位でいいからやってみたらいい。笑顔のフリでも難しいなら口角をほんの少しだけ上げてみたらいい。なんならアヒル口でもいい。やろうと思って、実行できたら自分をほめたらいい。

とりあえずそう自分に言い聞かせてみて、実際にやってみることにした。

悪い気はしない。